屋久島の「先島丸」と船葬
屋久島のお墓には、墓石に葬る前に一時的にお骨を安置する小さな小屋型の「魂屋」がおかれる。その壁にはかつて先島丸という船が描かれるものだった。
屋久島の民話には、たくさんの先島丸が集まっているところに迷い込んでしまった恐怖を語るものがある。1つは志戸子の泊川の浦、1つは奥岳にある御船岳で、先島丸は死者を乗せて旅立つものであり、つまりそのイメージは死後の世界を意味する。死後の世界が海にあったり、船の浮かぶ水面なのに山上異界になっていたり、複雑なことになっているが、いずれにしても、屋久島には船葬であの世に行くという死生観があったのは間違いない。
ところが弥生時代や古墳時代の遺跡には、実際に船葬が行われていたことを示すものがある。
福岡県筑紫野市の五郎山遺跡には、棺を乗せた船が来世の世界を目指す壁画があり、また奈良の巣山遺跡では実際に埋葬に使われた全長8mの船が発掘された。
さらに、天皇家では納棺のことを「お舟入り」と呼ぶのだそうだ。
これが西日本で一般性のある事実なら、屋久島の先島丸は、弥生時代まで遡る可能性があるということになるだろう。
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