霧島神宮・御池
安産祈願・・・だけじゃないけど・・・で霧島へ。
霧島神宮と、御池のあたりを流しました。
霧島神宮。ここにゆくと、バリのバトゥカウ寺院を思い出す。背後の森がなかなか深くて美しい。
掲示板に「山神祭」という行事が記入されていた。こういうのを見ると、傍神とされ、合祀されてしまった古い神社があったのかな~?と思う。
ご神木の杉。見事な巨木だが、屋久島の西部と同じように、乾燥のためここでも着生しているヒトツバが枯れている。
御池から高千穂峰。植物の垂直分布帯が見られる場所として、この湖畔から山頂直下までの森が、屋久島に最も近い位置にある。YNACもたまに研修に行く。
イチイガシ巨木の見事な照葉樹林から、モミの優先する温帯針葉樹林へと、狭いながらも屋久島と比較対照のできる場所。
帰りの鹿児島で串木野・ 冠岳の岳参りのポスターを発見。冠岳では行事を復活させたらしい。興味をひかれる。
鹿児島県では、時代は不明ながら、大峰山の修験道の行事が各地に伝わっていて、山らしい山にはしばしば岳参りの行事がある。屋久島の岳参りも基本的にはこれらと同じ構成になっている。
岳参りにはまだまだ謎があります。
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コメント
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おお、霧島神宮!
ひょんな事から一応小生の信仰対象となっておりまして、
登山前はもちろん、毎年欠かさず博多から初詣に出向いて、ついでに境内の自販機で縄文水レモンティーを大人買いしています(笑)。
「山神祭」といえば、本殿のすぐ裏の森の中に、こじんまりしているけど妙に綺麗な「山神社」なる神社がありますが、これに関係する行事でしょうか。
他にも脇を固めるように、若宮神社、鎮守神社、馬頭観音保食神社もありまして前から不思議に思っていましたが、確かに合祀と考えれば納得いきます。若宮神社の陰には霧島神宮に縁が深い性空上人墓もありますし。
投稿: つぼやん | 2006.11.15 02:19
間違えました。
性空上人墓は鎮守神社の陰でした。
投稿: つぼやん | 2006.11.15 02:23
安産祈願って?誰かおめでたですか?
もしや、タカの奥さんですか?
投稿: yumeo | 2006.11.15 22:58
>性空ね。天台系ということはその後の大峰修験に連なるのかもしれませんが、何者でしょうね。霧島神宮に墓があるとは知りませんでした。
高千穂峰をめぐるように都城盆地に北斗七星が描かれているんですよ。
http://www.geocities.jp/nekobusudou/kirisima7/index.htm
これは猫ばす堂さんというひとが発見した事実で、私も地図で確認しましたが、本物です。
またこの北斗七星からちょうど北極星の位置(より若干遠いが)に、修験道の聖地、藺牟田池があるのでびっくりです。
>yumeo さん
はずれです。それはちょっと早すぎ。
真実はいずれ明らかに。
投稿: モスフォ3 | 2006.11.15 23:46
性空上人は兵庫県の姫路にある書写山円教寺の開祖として有名です。
天台系ということで比叡山の良源の弟子だったと思います。何処かに資料があったはずなんですが、見当たりません・・・。
記憶では霧島や脊振山などで修行したあと、播磨の国の書写山に円教寺を開き、晩年はその北に弥勒寺を建立し、そこで入滅したはずですが・・。
霧島にお墓があるとは・・・?分祀でもしたんでしょうか?
はずれと言うことは・・・もしやS・Kさんですか?
投稿: yumeo | 2006.11.16 00:06
ははは。はずれ2。
投稿: モスフォ3 | 2006.11.16 00:16
さすが、お詳しい・・・
北斗七星、意図してやったものなのか、心の声に従ったら偶然そうなったのか、どちらにせよロマンを感じさせますね。
手持ちの資料によれば、
霧島での性空上人は、初代の霧島神社が背門丘で焼失してから150年後、高千穂河原(現古宮址)に二代目を再建した上、霧島岑神社・夷守神社・狭野神社・霧島東神社・東霧島神社と併せて霧島六所権現という形で信仰を深めた事により繁栄し始めたそうです。(その後もう一度焼失して、島津忠昌が現在地に三代目を再建。)
各神社には別当寺がありましたが、明治維新の廃仏毀釈により廃止され現在に至ります。
確かに霧島では亡くなられていないようなので分祀でしょうか。
投稿: つぼやん | 2006.11.16 01:43
こんにちは
修験でTBさせていただきました。
霧島は日本列島に拡がる修験スポットの南端ですね。
御池から高千穂峰の写真が、素晴らしい出来ですね。
投稿: 湖南 | 2006.11.18 07:32
大学のOB会で霧島に行き、六観音御池のあたりをぶらぶらしてきました。霧が垂れこめて残念ながら韓国岳は拝めませんでしたが。
> 湖南さん
遅くなりましたが、コメントありがとうございました。
修験道は屋久島にも影響していて、山伏が屋久島にいたふしもあります。
中世のころ島津家による領内(薩摩・大隈・日向)の修験者管理が強まり、修験道のにおいが強かった屋久島の山岳世界も、日蓮宗が圧倒・支配するようになりました。
このとき日蓮宗の高僧によって「屋久杉を伐採してもよし」とみなすセレモニーが行われており、ここから島津家の資本投下によって屋久杉生産が本格化した、という経緯があります。薩摩藩政期の屋久島は、かなり現実的・経済的な社会に変わってきたようです。
霧島も大隈の高隈山地も肝属山地も空から見ると伐採と林道でぼろぼろに崩壊し、見る影もありません。屋久島はかろうじて一部が世界遺産などになりましたが、自然が破壊されると古い神も新しい神も尊厳と居場所を失いがちなようです。
投稿: モスフォ3 | 2006.11.23 11:11