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2008.12.21

「屋久島丸」就航

ふと見ると、宮之浦の港に見慣れない大きなフェリーが入ってくる。12月22日就航予定の鹿児島商船の「屋久島丸」だ。試験航海だろうか。白地にピンク色をあしらっているところが、「はいびすかす」路線を継承したかのような印象である(笑)。

「屋久島丸」の運行時刻は、7:00鹿児島港南埠頭発→10:55宮之浦港着、12:00宮之浦港発→16:00鹿児島港南埠頭着。料金は片道4200円だが、来年の5月までは1000円払い戻しがあるので3200円になる。

この船は元、佐渡汽船の「こさど丸」(3965トン、定員 1133名)である。

参考⇒「定期船ブログ

1983年に新潟~両津間に就航、その後新船と交代して同じく佐渡航路の直江津~小木にお下がりとして転進し、この3月まで運行していた中古というか老朽船で、鹿児島商船が6億円で購入したそうだ。

25年前の就航当時は、佐渡航路では始めてのスタビライザー(揺れ止め装置)付き新鋭大型フェリーだったという。私はたまたまその直前に佐渡へ揺れまくる船で渡ってほとんど死んだ経験があるのだが、荒れ狂う冬の日本海航路で、この船はさぞ救世主のように登場したのだろうと推察する。

また屋久島航路でも、折田汽船の「フェリー屋久島」や鹿児島商船の「第二屋久島丸」の揺れまくりを何度となく体験しているので、「フェリー屋久島2」に搭載されたスタビライザーの威力はよく知っている。

なお「はいびすかす」は、これまた佐渡汽船からスタビライザー未搭載の「えっさ丸」を購入したもの。「はいびすかす」は鹿児島~種子島往復に早朝の西之表~宮之浦間往復をくっつけるという変則的な運行をしていたが、屋久島丸の就航にともなって、21日を最後に宮之浦には来なくなる。

※「えっさ丸」と「はいびすかす」に関しては、海猫の黒さんのコメントをご参照ください。

折田・市丸戦争が一段落してジェットフォイルの運賃が再び急上昇したため、ここに来て「フェリー屋久島2」がふたたび存在感を増している、と思いたいところだが、この「屋久島丸」就航でふたたびフェリー間のせつない戦争になるのかもしれない。

ところでこれで当面屋久島への来島キャパシティは、1日につきフェリー2便約1500人、ジェットフォイル7便約1750人、飛行機6便約450人で、合計約3700人ということになる。

来年の皆既日食に関して屋久島町対策協議会はひたすら後ずさりをするのみで「受け入れ可能数4500人」と宣言してしまったが、これは一日あたりではなく期間内の定員だろうから、あっけなく破綻するのは自明のようだ。

地元自治体が決議したところで、それに説得力と実力がなければ、無視されて終わりで影は薄くなるだろう。

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屋久島のようす(人文社会)」カテゴリの記事

コメント

明日就航だというのに屋久島丸の情報は鹿児島商船のサイトにもまったくアップされていません(笑)。料金等は事務所に電話して確認しました。なんともはや。

どうも、いつも感心しながら拝見しております。
「はいびすかす」は貨物船として造られた船で、短期間別の所有者が居ましたが、岩崎系の種子屋久航路で長らく活躍した「第二屋久島丸」を無くす際に、岩崎グループの新屋敷商事が代船として購入、鹿商海運のオペレートで貨物フェリーとして運航していたものです。
以前の市丸との騒動のときに客室を増設して旅客フェリー扱いになりました。
で、「えっさ丸」は、今、山川ー根占航路に就航している「ぶーげんびりあ」です。
佐渡汽船としては小型のフェリーで、最初からマイナー航路の寺泊ー佐渡赤泊航路についていました。この航路が高速船になるのを機会に岩崎グループに売られ、九州商船種子島航路の撤退後に短期間鹿児島種子島航路に就いていましたが、はいびすかすが旅客フェリーになるのと相前後して、種子島航路から撤退しました(屋久島への営業寄港実績はありません)。

今、市丸グループが屋久島航路用として宮城県石巻の造船所でフェリーを建造しております。これができますと単純計算では屋久島鹿児島間に、ジェットフォイル以外に折田、鹿商、市丸(コスモ)の3つのフェリーが乱立することになります。んなばかなことには結局ならないとは思いますが。
なお、トッピーのうち、トッピー7(事故前のトッピー4を縁起を担いで修理後改名したもので、このためにトッピーは4と6が欠番)も、元々佐渡汽船の「みかど」という直江津小木航路のジェットフォイルでした。
佐渡汽船は新潟県庁が筆頭株主の、一種の3セクですので、佐渡汽船からコロコロ船が来るのはオーナー繋がりと言うより、外洋系の離島数時間航路ということからくる船のスペックの類似性に起因していると思います。
なお、種子島航路の「プリンセスわかさ」、折田汽船の「フェリー屋久島2」、市丸新造船を建造している石巻の(株)ヤマニシ(旧称山西造船鉄工所)は、現在大型の旅客船の建造が可能な東北地方以北唯一の造船所ですが、平成になって造った内国旅客フェリーは4つしかなく、全部鹿児島のオーナーのものです(あと1つは大島運輸の大阪奄美航路用)。
今回は折田との関係で時刻がギリギリまでモメにモメましたが、結局どちらも朝本土発、昼島発は変わりませんね。(以前の第二屋久島丸のように)、運賃の安いフェリー便は、島民の経済水準を考えて、島からの本土での用足しに便利な朝島発、午後本土発にして欲しいのですが。

失礼いたしました。ではまた。

海猫の黒さん、お久しぶりです。リアルウェーブの掲示板閉鎖以来になりますか。あいかわらず惚れ惚れするようなコメントです(笑)。

件のご指摘ありがとうございます。はいびすかすは佐渡から来た、と思い込んでいましたが、改めて調べ直すとなるほどえっさ丸とでは総トン数がぜんぜん違いますね。↑該当部分を線で消しました。

鹿児島商船が佐渡汽船からコロコロ船を仕入れるのは、スペック以外にもやはりなにかあるような気がしますが(笑)・・・どうなんでしょう。

先日第二屋久島丸を佐伯の造船所で建造したという方がいらして、いろいろお話しました。折田と市丸が瀬戸内ではなく景気がいいとはいえない石巻に発注しているのはなぜでしょう?建造費の問題でしょうか。

こないだのリアルウェーブ旅行記投稿に続いて、
海猫の黒さん健在ぶりを示すうれしい便りですね。
相変わらず、凄い情報通で
Tさんならずとも「一体何者なんだー」言いたくなる感じです。

屋久島の明日を考えて、
今まで通り折田汽船を支援続けようと思いますが、
運行時間まで似てしまうと、料金次第でちょっと心が揺らいでしまいます。

折田汽船のフェリー屋久島2は実質的に市丸コスモラインに買収されることになったようですね。形はともあれ存続はなによりです。

折田は古くから屋久島の地域に貢献した企業として、島内の信頼が非常に篤く、心情的な支援者は非常に多いのです。それでも高速船の低価格競争にあっては・・・みんな「転び」ましたが(笑)。

つぼやん様:
>こないだのリアルウェーブ旅行記投稿
お久しぶりです。んなもん見ておられましたか(恥)。別に屋久島行くのやめたわけではなく、年1~2回は再履修しております。近頃は12月18~20日に行っておりましたが、三岳は相変わらず品薄で、このブログにもありましたように安くなっていたポンカンをたらふく食って帰りました。

フェリー屋久島2(折田)
登場時、離島昼行航路にこれだけの豪華船が出る時代になったかと感嘆した、中距離便では文句なしに日本中に誇れる名船でした。噂を聞いて初めて乗ったとき甲板と手すりが全部チーク材だったので腰を抜かしたものです。
ただ、パブリックスペースと上級客室やエンタテイメント室の多い豪華客船のような部屋割、島民が愛用する二等雑魚寝部屋が小さいというのは、たまに乗る都会の人にはいいものの、島民の経済的往来ニーズとは若干乖離しており、今のようにジェットフォイルが乱発?される前は、いつも雑魚寝部屋が混んでいた記憶があります。でもって、この度をはずれた豪華さが船価にも反映されていて、最後に会社の命取りになってしまいました。
一体いつまで走るのかわかりませんが、こんないい船が知られていないのは惜しいことです。
鹿商(いわさき)は、以前に、突然第二屋久島丸の運行を止めたときに、島発旅客の往来はもちろん、農産物、水産物の出荷において大きな問題になっており、農林水産関係者はこのときの恨みつらみが相当あり、どうしても安定輸送してくれるのか、しばらく信用できないようです。

海猫の黒様:

>別に屋久島行くのやめたわけではなく、年1~2回は再履修しております。
もちろん、リアルウェーブ掲示板停止が海猫の黒様の活動終焉だとは思っていませんよ。むしろ、思ったより頻度が少ない事に驚きました。
それでもってあの知識だとは、ますます「何者なんだー」って感じです(笑)。

>突然第二屋久島丸の運行を止めたときに
ここ数年の自己中心的な態度であきれていたところですが、その昔にもそのような出来事もあったのですね。
やはり、折田支援の精神は変えまいと思いました。

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