« あっ! カウンターが・・・ | トップページ | あすから3日間不在です »

2009.08.18

突然の死と自然について

先日、鯛之川で福留さんという女性が亡くなった。迂闊にも今日事務局長の中川さんからの連絡で気がついたのだが、昨年の暮れに屋久島地学同好会に入会していた人であり、忘年会で一度顔を合わせていた。

事故の詳細は確認していないのだが、本流の流れに持っていかれて巨岩の滝から落ちたそうである。しばらく雨も降らず水量は減少気味で、死ななければならないような条件は、おそらくなにもなかったと思う。残念なこととしか言いようがない。

5月にも知人が2人、磯釣りに行って波にさらわれ沖で発見された。屋久島の自然は実に簡単に人の命を奪ってゆくのだ。

船の遭難は海神の怒り、山の行方不明は神隠し。人知の届かない、理不尽としか言いようのない死や災害を、かつては神のせいとし、その怒りをなんとかなだめるため、神を祀り、供物をささげた。その一方で神の怒りを免れるための現実的な方法を様々に考え、工夫したのである。

縄文杉へ行く人を見ていると、まさにこれはメッカだなと思う。良いことではあるのだ。普段自然に関心もない人が、はるばる巡礼のように旅をして、往復22キロの単調な道を歩き、巨木を目の当たりにしてかけがえのない達成感に包まれ、自分が少し変わったかのように思う。

そのあり方はまさに宗教そのものだ。いま人が救われるのは、ただ自然によってであり、本当の癒しや救いは自然の中に帰ることによってしかもたらされない。山岳宗教というけれども、自然こそが神であり、縄文杉はそのシンボルなのだ。

しかし、その「信仰心」は、限りなく甘い。美しく、優しく、手招いてくれる自然だけを見ているように思われる。そこに畏れはなく、自然がこともなげに人の命を奪い、分解し「肥やし」として生態系のリサイクルに放り込んでしまう神であることは忘れている。

私は「沢登り」とは、命がけで神と付き合うことだと思っている。

なるべく機嫌のよいときを見計らい、うまいことその中庭をのぞき見してくる。もし神が怒り出したら、全知全能を動員してそれをやり過ごし、ひたすら生き残りの可能性を探る。そのために様々な手管を考え、磨いておく。

今年の秋、地学同好会で屋久島の渓谷ポットホール(甌穴)調査をやろうかと考えていた。そのための準備を考え始めていたところだった。

もし福留さんがこのポットホール調査の準備に関わることが出来ていたなら、沢登りの行動方法をなにか学んでいたら、こんなことにはならなかったかもしれない。これこそ後の祀りというものだが、今になって悔まれてならない。

できることは、その無意味な死を考え続けること、そこから何を見出せるのか考え続けることだろう。

« あっ! カウンターが・・・ | トップページ | あすから3日間不在です »

コラム」カテゴリの記事

コメント

日記に転記させていただきました(事後承諾すみません)

故人のご冥福をお祈りします。

最近屋久島の「縄文杉ハイキングツアー」に参加したらしい知人からのメールに、
「(旅行会社からの連絡に)ジーパン不可、運動靴不可、ってあるんだけどどんな装備がいいですか?」とありました。

彼女と一緒に歩いた訳ではないので、そんなに本人の状況を知らないので「それぞれ不可、って訳じゃないとは思いますが、ぬれたときの処理や延々の登り下りを考えると木綿よりも速乾性&伸縮性のある山ズボンが適当、滑りやすい道を考えると足首までサポートしてくれ、裏がきちんとしている山靴が適当、とは思います」
なんてことを答えちゃったりしてたわけですが
「不可」ってことばで断罪する旅行会社さん(どこか、なんて聞きませんでした)の「捌いてる」って感覚は、なんともならんもんなんだろうな〜とまた思った次第。

ほかの知人も(ボリビアやネパールで高所登山をしていた人ですが)「少し休みができたので、屋久島にいってみる」というメールがいきなり来て、このお盆にいっていたようです。それだけ吸引力があるんですね、屋久島。

自然こそ神!本当にそう思います。
私が屋久島に惹きつけられるのは、神に触れたいとの深層心理があるからかも?
ただ、常に危険が潜んでいる自然と向き合うためには、憶病心が必須に思うのは年齢のせいでしょうか?
と言いながら、今年も何とか沢登り終了までにお伺いしたいです。

亡くなられた方はやり残したこともおありでしょうが、ご冥福を祈りたいと思います。
調査が順調に進むことも願っております。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« あっ! カウンターが・・・ | トップページ | あすから3日間不在です »

フォト

Twitter

リンク集

無料ブログはココログ