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崩壊した縄文杉荒川ルートの復旧工事は、今年度中に着工の予定。
環境省によると次のような段取りになるとのことです。
①とりあえずトロッコ道の崩落個所の上を巻くように小さく(仮)迂回路を作る。
②トロッコ道崩壊地の復旧工事が始まる前に、さらに手前から(本)迂回路を作る。
③同時に2月中旬までに、復旧工事のための調査を終わらせる
④今年度内に復旧工事に着工。
①は、④の工事のための作業道に転用するのでしょう。
ということで、①の迂回路作りの作業に1週間程度かかりますが、これが完成した時点で、縄文杉ルートは復旧しそうです。
林野庁のサイトに現場の写真がアップされています。これをみると崩落はトロッコ道を越えて安房川の川床まで行ったようです。 →http://www.rinya.maff.go.jp/kyusyu/ 林野庁九州森林管理局
私は現場を確認していないのですが、安房川のこのあたりは、小杉谷がまだあった頃、川遊びに行く場所で、その名も「海岸通り」と呼ばれていたそうです。…やや赤面ネームではありますが(笑)、行ってみるとなるほど花崗岩の白く輝くバンドが流れに沿って続き、瀟洒な感じのする、美しいところです。
この崩落で多少土石が流れ込んだかも知れません。
まあそんなわけで、めどは立ちました。
トロッコ道崩落現場には、迂回路を作ることになりそうです。以下、観光協会西川さんからのメールを引用。
26日に関係機関(環境省・森林管理署・鹿児島県屋久島事務所・屋久島町)が協議を行い、その結果、当面の臨時的対応として迂回路開設の為の調査を1月29日に現地で実施する事になっております。なお、崩壊箇所の復旧工事に関しては、まだ決定しておりません。
季節がらそんなに急ぐ必要もあるまい、という雰囲気ですね。視察にはもう2回も行っているはずですが、また行くんですね。
屋久島の国立公園や世界遺産の利用に関しては、実は司令塔が無いのです。責任者というものは無く、権限は分散しており、まあ典型的な縦割り行政という形です。
それでなにか事が起こると、こういった感じで関係行政機関が集まってそれぞれの縄張りの立場から「協議」することになり、その結果をふまえて、対応することになった部局が対応してというふうに、事態はのんびりと進んでゆきます。
上記の各行政機関の使命からみて、環境省がキーになるしかないだろうと思えます。しかし環境省自身は「調整役」をもって自らに任じているようです。屋久島の自然関係のいろんな会議はいま、やたらに自己主張の強い人が多いので、環境省の屋久島担当者には、心身ともにタフな人が選ばれるそうです。
まったく御苦労さまです。
そういえば奥田くん、よりたいへんなところに引き抜かれてゆきましたが、元気にやってるでしょうか?
(写真:屋久島観光協会HPより(転載許可済み) 撮影:西川さん)
観光協会が小杉谷崩落現場の情報を公開しています。現場の地図もありますので、ご覧ください。
大規模な崩落というより、トロッコ道法面(のりめん)の花崗岩オーバーハングが落ちた、という感じです。現在環境省、森林管理署、土木技師などの関係者が現場を調査中です。
写真を見た限りでは、浮き石さえ除去すれば、あとはこれ以上崩れそうな感じはしません。しかし真ん中の岩は大きいですね。重機が入らないでしょうし、割って処理するしかないのかな。
この場所は国立公園特別保護地区に入っていて、世界遺産にも登録されているので、工事の際も扱いは慎重さを要求されるでしょう。手間取りそうなら、迂回路を考える必要もあるのではないでしょうか。
屋久島観光協会から下記の通り連絡がありました。
関係各位殿
本日、午前8時に協会員ガイドから荒川線崩落との電話連絡を受け、
協会事務局にて現地を見に行ってまいりました。
場所は大杉橋先50m。崩落は10m程度に渡っていました。
岩盤が崩落しており、道上の岩をどけたとしても岩壁自体の補修をしなければ同じ箇所がいつ崩れてもおかしくない状況であり、安全は保てないでしょう。
そういったことから、復旧にはかなりの日数を要すると思われます。
迂回ルートは山を相当まいていかねばならず、当分は通行止めの状態になると思われます。
本日、役場商工観光課と森林管理署長、保全センター所長も現地確認しております。
当分は荒川三叉路もしくは登山口にて通行止めとし、今日明日中に放送にて広報の予定です。
また何かわかりましたらお知らせ致します。
以上。
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社団法人屋久島観光協会 事務局 西川
(引用以上)
観光協会の西川さんが、休みを返上していち早く確認に駆けつけてくれました。
文中に「荒川線」とあるのはトロッコ路のことです。
大杉橋とは、荒川登山口から小杉谷へ歩いて30分ほどの、下に大きな屋久杉が立つ手すりのない橋です。その少し先が崩壊地点とのことです。安房川の両岸が狭まる急斜面で、川床を見ると岩盤が発達しています。
・・・つまり何百人という人が歩いている時に崩れる可能性もあったわけですね。
被害、つまり埋まっている人がいるかも、などという話は無いようです。夜間に崩れたのか、人どおりのない時だったのが何よりでした。
昨年春、小杉谷橋上流右岸(上流へ向かって左。トロッコ石塚線の方)が崩壊しました。また10年ほど前の台風で、上流の伐採跡地で土石流が起きたこともあります。
縄文杉ルートは決して観光遊歩道ではなく、「山」であるということを改めて感じさせられます。続報があればお知らせします。
原稿書きにも疲れて、夜更けに風呂につかる。浴室の薄暗い照明のに、ぼーっと行く末のことなど考えていたりするわけですが、そのライトの中で、
なんか動いている。
細長いものが、いかにも困ったように、おろおろと。
大型のミミズが暴れてるようすにも似ているが、ミミズはこんなところで動けるとは思えない。それに・・・足がたくさんあるみたいだ。となると・・・?
オオムカデでした~~~!!!
何を好き好んでこんなところに、というか、どうやってこんなところに入り込んだんだ、このヒトは?
思えばこの3日ほど、南風が吹き春のごとき陽気でした。そういえば亜熱帯世界で猛威をふるっているというアシジロヒラフシアリがベランダに行列を作っていたなあ。みんなうっかり起き出してしまったか。
動画です↓。ご覧になりたい方はどうぞ。
不思議なのは、今日になってライトのカバーをはずしてみたところ、中にいなかったことです。どこから出て行ったのだろう。 いや、それ以前にどこから入り込んだのだろう? ユニットバスの外壁を登り、照明配線の穴から入り込んだのだとは思いますが。
また明日から寒くなるので、ねぐらに逆戻りでしょうね。
※NZ鋭意執筆中です。
まずこの大きさを見て欲しい。
オークランドの北、ダーガビルに近いマタコヘにあるカウリ博物館。大きなホールの壁に、最大級のカウリたちの断面が描かれていた。左脇の人がスケールになってくれている。
最大の木は「ザ・グレート・ゴースト」。偉大なる幻。直径8.5m、周囲26.8mあったと言われている。この木は1890年に火事で燃えてしまったらしい。
2位はオークランドの東、コロマンデル半島にあった「ファザー・オブ・ザ・フォレスツ」。周囲22m、幹高(地面から最初の枝下までの高さ)24mあったという。1870年頃倒れてしまったらしい。
3位は公式に計測された最大の木「カイラル」。ワイポウアの南30kmのトゥタモエ山にあった。1860年に計測され、周囲20.1m、幹高30.5mだった。この木は1890年代から90年代にかけて繰り返し発生した山火事で焼けてしまった。
4位は現存する最も太い木、ワイポウアの「テ・マツア・ナヘレ」16.4m。
5位が“森の王”「タネ・マフタ」13.8mである。
日本では巨木を胸高周囲(地上から1.2mの高さで測った周囲)で評価するが、NZでは木材体積で評価する。最大のカウリとして名高いタネ・マフタは、太さでは2位だが幹高が17・7mあるので最大とされる。梢高は51.5mもある。
テ・マツア・ナヘレは幹高10.2m、梢高29.9mで、縄文杉に非常によく似た大きさだ。
なおカイラルは幹高30.5m、梢高65mと、ジャイアントセコイアとゆうに張り合えるサイズだったのだが、惜しいことをした。
カウリ博物館は外観からは想像もつかないほど大きな施設で、丁寧に作られた、歴史と林業に関するいくつもの大規模な展示は見ごたえがある。カウリという手つかずの優れた木材資源の宝庫を前にして、どんなことがあったのか、余すことなく学ぶことができる。NZの歴史の精髄が詰まっているといった方がいいだろう。
こうやって過去の事実をきちんと整理し、明確に認識するところから、世界に冠たるNZの自然保護は始まっているのだなあ・・・。
ワイポウアの森を訪れる際は、必見だろう。
これは第7位の「YAKAS」。愛ちゃんのガイドで訪れたワイポウア森林保護区にて。まだまだ苦労を知らない紀元杉、という感じです。
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