『密行 最後の伴天連(ばてれん)シドッティ』 古居智子 新人物往来社
『密行 最後の伴天連(ばてれん)シドッティ』
古居智子 2010.5.21 新人物往来社 ¥1800+税
屋久島の歴史のなかに、その名を残す二人の人物がいる。1人は泊如竹、もう1人はシチリア人のジョバンニ・バッティスタ・シドッティ。本書はこのシドッティの、初の本格的伝記である。2003年から2009年まで、7年間にわたり屋久島の季刊誌『生命の島』に連載された。
シドッティはローマ教皇の命を受け、フィリピン経由で日本にやってきた最後の宣教師だった。上陸地がこともあろうに屋久島で、すぐに捕えられ、長崎から江戸へ送られた。新井白石の取り調べを受け、そのときの内容がのちに白石により『西洋紀聞』としてまとめられたが、幽閉中に世話役の老夫婦に洗礼を施し処刑された。
島内では、こういうあっさりした略歴で、よく知られている。実際シドッティと屋久島のかかわりは少なく、上陸したので薩摩藩の役人に引き渡したのだが、かかわってしまった人たちがとばっちりを食ったり、事後処理がいろいろ大変だったというだけのことである。
『密行 最後の伴天連シドッティ』は、このあっさりした話に対し、ていねいな文献調査をもとに、シドッティのローマ出発前、アジアの状況と事前準備、密行と捕縛、長崎奉行所の対応、新井白石とのかかわりという風に、彼の足跡を可能な限りきめこまかく記し、肉付けし、膨らませ、未知だったストーリーをつづってゆく。
ローマ時代の文書はもとより、航海の途中インドで同僚と仲たがいしたことを報告されたり、ルソンで建設した神学校の絵が描かれていたり、屋久島沖で上陸直前に関係者に書き残した手紙が残っていたり、これらの文書類の写真が収録されているところも説得力を生んでいる。
長崎奉行所の阿蘭陀内通詞、今村源右衛門英生の発見も新鮮だ。
ルソンで他の修道会の妨害に直面しながらも、神学校建設にさいして手腕を振るったくだりには驚き、考えさせられた。そんな実務家がなぜ、無謀にも何の可能性も見出せない日本国に、玉砕覚悟で突っ込んできたのか。原理主義のなせるわざというものか。信仰ということばで説明されてしまうと、その時点で理解を超えてしまう、とつくづく思う。
それはともかく、これによってシドッティの生涯と日本とのかかわりが、ほぼ全貌を現したといえるだろう。泊如竹もそうなのだが、大勢に影響した巨人というのではなく、時代の流れの中で、怒涛の人生を送った個人史として、想像力を刺激されつつ読むことができて面白い。引き込まれて一気に読んでしまった。
この本によって、またひとつ屋久島のある部分が深みと広がりを持つことになった。文献の少ない屋久島にとって、この労作の持つ意味は重い。屋久島の季刊誌『生命の島』の残した大きな遺産ともいえるだろう。
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