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2010.11.15

日本山岳会の「屋久島への提言」見ました 2

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縄文杉の利用調整、つまり一日当たりの人数制限にかんして、島内はもめている。

環境省と屋久島町は430人案。観光協会は600人プラスα案。

そこに日本山岳会が屋久島への「提言」ということで、300人案を打ち出した。

こういうことが話題になっている。しかし今まずすべきことは、縄文杉登山をコントロールする、という合意と、そのためのガイドラインをつくり、権限を責任を一本化することではないだろうか。人数をどうするか、道をどうするかなどは、ガイドラインに沿って持続的にトリートメントしてゆくべきものだ。

問題はそこではない。

内容については日本山岳会側のサイトに要約(?)がアップされている。「このサイトにざっと目を通すと、これまでどのような検討がなされてきたかがわかる。

提言書」リンクは工事中でまだダウンロードできないが、そのうち完成するだろうから、そちらをご覧いただきたい。

その内容なのだが、これがどうしたことか、読んでるとだんだんいやになってくるのだ。

全体のトーンが前向きな指摘や建設的意見でなく、屋久島の現状に対する不平不満と批判をぶつけるような印象なのである。

細かなもろもろは省略して勝手ながら私が思い切り意訳しよう。まずこの「提言」の指摘する問題点はおおむね次の四点らしい。

 
1.屋久島はオーバーユース状態だ。それは百名山ブームと縄文杉ブームが起こり、地元が観光優先政策をとって、観光客が屋久島に押し寄せたためで、世界遺産が危機にさらされている。
2.山小屋、トイレ、登山道の整備が遅れており周辺の環境を悪化させている。
3.道路が舗装されたので入山者が増えている。
4.ガイドへの苦情が絶えない。認定制度が不備なので屋久島登山・観光の魅力や質の低下を招いている。
 

要するに、地域経済の姿勢も、行政の仕事も、屋久島訪問客のにぎわいぶりも、ガイドのレベルも、すべて気に入らん、ということだ。

しかしそれを言うなら、世界遺産はよりインパクトの強いオーバーユースの理由ではないのか? この「提言」が世界遺産を大義名分にしているから、それだけは別ということか?

また「日本百名山」ブームの責任を挙げているが、作者の深田久弥は日本山岳会の会員である。私自身は百名山が悪だとは思わないが、会員のしたことが悪影響を与えているというのなら、これに対してまず日本山岳会が「明確な」対策をとるのが筋ではないか。

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内容は全体的にそう間違っているわけではなく、おおむねもっともなことばかりなのだ。、それぞれの根拠におかしなところがある。筋違いな腹立ちのような感情がそこここに感じられ、読んでいて引っかかる。「ガイドへの苦情」などというのも、利用者からというよりも、島内からの発言が多くないだろうか? 確かに最近のガイド風景を見ていると、おかしなことも少なくはないが。
 
本論に本音が見える

そして「わたしたちが考えるあるべき屋久島の姿は?」で四項目が指摘されている。これが形としては本論らしいので、順不同でいくつか読み込んでみる。

その2.1993年(世界遺産登録年)前後の状態に生態系を回復させる

1993年というのは、林野庁によって、保護されていないエリアのヤクスギの森がすべて禿山にされ、前岳の照葉樹林もほとんどがチップになった時期だ。海藻は消滅してトビウオの産卵群も来なくなり、屋久島の生態系は最悪と言っていい状態だった。本気でそんな時代に戻したいのか?と驚いたが、本意はそうではないらしい。

その1.「わたしたち登山者の純粋な願望として、30年以上前の屋久島の姿に戻ることを希求する。」

 
わたしたち、つまりこの提言を作った人たちは、昔はよかった、と言っているのだ。30年以上前の、わたしたちが山を独占できた時代に戻せ、それが私たちの純粋な願いだ。
山は「下界」と一線を画しており、わたしたちは高潔で高度な技量をもつ登山者なのだ。わたしたちより下に位置する俗な人たちがわたしたちの山の世界に入ってくるべきではない。そういう感情である。

個人的な想いとして、私は分からないでもない。というか、正直にいうと、理解できる。

 
しかし、個人の「わたしたち」はそう思っていないのだろうが、屋久島側から見れば、中高年登山者も、山ガールも、日本山岳会もみんな同じ「登山客」なのだ。いずれにしても、この「提言」は根本的にエモーショナルなのである。

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本当にあるべき姿とは
 

いうまでもなく、世界遺産にとって、屋久島地域にとって、いま必要なのはあるべき将来ビジョンと合意、そして推進のための説得力のある権限である。現在の縄文杉や白谷雲水峡を核とした自然観光の流れを、どういいものにしてゆくか、アイディアはいくらでもあるのだから、これを収斂させて具現化しなくては。

 
経済的自立がなければ、地域の将来はそれだけ明るさの足りないものになる。家計を考えればわかることだ。

一部の思い込みやいいがかりほど、屋久島の自然は「荒れている」だろうか?わたしはそうは思わないが。縄文杉と白谷の一部の混雑ぶりさえなんとかすれば、屋久島はいまなお静寂の地ではないだろうか。

感情的な思い込みで主張をしあって、いいことはなにもない。事態はすでに「30年前」と全く変化しているのだ。不満や嫌悪感もあらわに「わたしたちの言うことを真摯に聞いてほしい」といわれても、どうしようもないではないか。

意見を展開・拡散させる時期はもうとっくに終わったと思う。これ以上「協議」機関を増やすべきではない。屋久島町なり環境省なりが明確なリーダーシップをとって、事態を切り開くべきだ。

日本山岳会には、屋久島や登山界内部の細かなことにとらわれるのではなく、大局的な見地から、まず日本の登山志向の変化を分析し、それをベースに屋久島の現状を正確に把握してから、問題点を抽出してもらいたい。そのうえで、せっかく素晴らしいアドバイザーがそろっているのだから、科学的な分析に基づいて地元には難しい前向きで大胆な方策を提言されてはいかがだろうか。

トイレ問題など、面白い、世界遺産らしいかっこいいやり方がいろいろあるように思う。

 
地元の反感を買い、発言の足場を失うようでは、伝統ある日本山岳会にとって不名誉なことであろう。せっかく「利害関係のない」第三者的な立場なのだから、生かせなければもったいないという気もする。
 

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以下は余談になるかもしれないが、付け加えておく。
屋久島の自然保護行政の停滞は、煎じつめれば同じ場所に林野庁と環境省の二つの国機関があり、矛盾した行政になっているところに原因がある。

 
林野庁は先般の「仕分け」で、いまだに残る1.3兆円もの借金を、特別会計で払って行くように指示された。しかしそんなことは無理に決まっている。だいたい特別会計を続ければ、全国の最後に残った貴重な自然林が消えてゆくことにもなりかねない。屋久島国有林からはもう残り少ない屋久杉土埋木(どまいぼく)以外に売り飛ばすものはない。国有林の天然林伐採・集材はいってみれば狩猟採集型産業なのだ。

 
当然の責任で林野庁は廃止し、組織を改編して、屋久島の自然保護行政も一本化するべきだと思う。日本山岳会にはそのくらいのことは言ってもらいたい。

なお「提言」冒頭の故松方三郎日本山岳会会長の言葉は、愛する山を破壊する国家的暴力というべき国有林伐採に対して述べられたものだ。自然を愛しその中で活動する青少年の育成に尽力された松方氏であれば、訪れる人の増加を、人を育てる方向へ考えることができたのではないかと思う。優れた文章家であった故人の意図を、権威づけのために歪曲引用するというのは、いかがなものだろうか。

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コメント

昨夜アップした時、HTMLがごちゃごちゃになってしまったので、今朝になって構成と文章表現をだいぶ書き換えました。文意はそれほど変わっていないと思います。

全く同感であります

あんまりゴチャゴチャいうと面倒だし、わけわかんなくなりますので私としては要点だけですが・・・小原さんはよくお分かりと存じますが・・・

(1)自然公園というのは保護と利用の2面から成り立っております。過剰な利用はよくないのは当たり前ですが、過剰な保護もまた害になりがちです。
(2)安易な聖域論、受け入れの工夫を全くしないオーバーユース論はよくありません。
(3)屋久島に限らず、だいたい日本のどこでも地元が観光に取り組むことはまずありません。私にしてみればむしろ観光に真摯に向き合ってほしいのですが、実際にはどこも自然が豊かなところの自治体は、土木作業を伴う公共工事を好みます。したがって「観光開発の結果・・・」という言葉を安易に使うのは誤りです。観光という言葉はもう少し立派なものです。
(4)屋久島の独自の問題として、この森には太古から人が入っております。原生林ではありますが人跡未踏ではなく、歴史を感じる素晴らしい人の営みの跡が見られます。これも見落としてはならない点です。

ということで、やはり、ここ屋久島では、まずは複数鼎立(乱立)になっている山岳部の管理主体(と思っている団体)の一本化が喫緊の課題。とにかくまずこの解決に尽きると思うのですが・・・
長くなり失礼しました。

海猫の黒様

必要な行動規範を踏まえた上で、なにものにも煩わされず自然の中で自由に行動できるのが、登山という行為の最大の魅力だと思っています。

問題点の指摘云々の前に、登山の喜びを共有することを忘れた、排他的な「提言」に対して、私としては抵抗感しか感じないですね。

もちろん日本山岳会へ、ではなく、その一部の関係者に対してですけど。


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