縄文杉の腐朽枝を補強する必要はない
たとえ伐採されても、その後の年月によって破壊は癒える。「原生自然」に限りなく近い位置にあることが、屋久島の最大の価値であり、それが善意であれ悪意であれ人為が入ればその分、屋久島の森の真価は損なわれてゆく。
先日林野庁九州森林管理局が、縄文杉の大枝に腐食が見つかったと発表した。古い木になればそんなことは当然で、驚くほどのことはない。とりあえず、観察デッキの、枝が落下するの可能性がある部分を立ち入り禁止にするとのことで、なにか対応を考えるのだろうと思っていた。
デッキの立入禁止の状況はこちらでよくわかります。
⇒「ざるの洗い方」
縄文杉が生きるというのは、種から生まれて、幾多の困難を超えて大きく成長し、やがて内部が空洞化し、台風のたびに伸びた枝が打ち落とされ土に帰り、次第に消えてゆく、その長大な時空間のことだ。
そしていま、2000年という時間を経て、縄文杉は少しずつ土にかえる準備を始めている。
これまで、自然なその生きざまに人為的な無用の影響を与えないよう、環境省や林野庁をはじめ、さまざまな人や機関が木道やデッキを用意するなどして、伐採され踏まれた根回りを元の環境に戻すべく、いろいろな処置が取られてきた。
それなのに、なぜ今縄文杉の生命の営みを邪魔するような処置を取ろうとするのだろう?
自然に落ちようとしている枝を、とどめておく必要などないではないか。
危ないのなら、デッキやルートを移動させればいいのであって、ついでに混雑を緩和できるよう、ルートデザインをやり直せばよい。縄文杉に手をかける必要はまったくない。
大きく広がった枝々が心配だといって、落ちないようタコ足のようなワイヤーでがちがちに固定された日本一のブナ。
樹洞の腐朽が衰弱の原因だといって、ステンレスカバーを埋め込まれ、サイボーグのようになってしまった大杉。
べっとりと防腐剤を塗布されたものもよく見うける。いずれもその姿は生き物としてあるべきでないような、おぞましい姿になりがちだ。
街中のシンボルの大木を延命させたいという気持ちは理解できる。それは家族のようなものだからだ。どんなに悲惨な姿になっても生きて欲しいと思うだろう。
しかし、縄文杉のような原生自然の中に生きる木は、あの国有林伐採を逃れ、いまなお大自然の中で生き続ける存在だ。訪れる人が多いからと言って、決して家畜でもペットでもない。野生生物なのである。人間の行為など届かないところに縄文杉は厳然とある。
シカやサルに餌を与えるのは、彼らのためにはならない。あれは人間の浅はかな自己満足に過ぎない。同様に野生に生きる縄文杉に無用の手出しをするのは、まったく縄文杉のためではない。人間や組織の自己満足や宣伝のために、縄文杉の尊厳を傷つけ、貶めることにしかならない。
「手厚く処置されて」哀れな姿になった縄文杉の姿など見たくない。枝が落ちる時が来たのなら落ちればいい、倒れるときが来るなら倒れればいいのである。人間の力など及ばない偉大なものを仰ぎ見るために、われわれは縄文杉のもとへ行くのだから。
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コメント
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縄文杉の腐朽枝を補強する必要などありません。落ちるものは落ちればいい。倒れるなら倒れればいい。危険なデッキは撤去して、混雑のひどい遊歩道のルートデザインを改良するいい機会です。(FBに書いたコメント)
投稿: mosfo3 | 2012.12.19 21:11
至極正論。
その愚策を施された巨樹は、もはや原生・自然とは呼べない。
投稿: 臆崖道 | 2012.12.19 23:56