雲南 白馬雪山国家自然保護区にゆきます 6/24~7/1
6/24 大阪⇒上海⇒昆明
白馬雪山は、雲南最大の自然保護区の一つで、動物も植物も種の多様性が桁違いに高いところ。こうやって書いているだけでわくわくです。
ホールアースの広瀬敏通さん、日中市民社会ネットワークの朱恵文さんと一緒です。
『佐渡―海底から原始の森へ』天野尚
佐渡の北部に、すごいスギの自然林がある。佐渡金山の操業のための利用から、辛くも残った部分が、いまかけがえのない価値持ち始めている。
この森を中心として、佐渡にエコツーリズムを打ち立てる活動がすでに始まっている。
佐渡エコツアーガイド協会 (Facebook)がそれで、ガイド養成の中心になっている井上さんは、すでに2回屋久島に来て、屋久島のエコツアーの実際を視察されている。
今回は、屋久島のガイドが佐渡のツアープログラムを体験するとどうか、というとっても嬉しい申し入れで、喜び勇んでお邪魔するところです。
佐渡も、有名な富山の立山杉も、屋久杉も、冬場の風と雪の影響を強く受けるという意味で、共通するものがありそうです。楽しみです。
そういえば佐渡にヤマグルマはないかな?会津の山にはあるらしいのですが。
佐渡の後は長野で行われる「海外溯行同人」総会に出席の予定。28日まで留守します。この間はツイッターでときどきつぶやきます(右の窓にでます。)
なお、左欄の「ツイログ」はこれまでのつぶやきのログです。(ときどき「RT」とあるのは、他の方のつぶやきを紹介する「リツイート」。)
ニュージーランド北島ツアーの締め切りが近づいています。まだ年末年始の計画が決まっていない方はどうぞご検討ください。
ワイポウアにあるカウリの巨木、「ヤカス」。大きさは現存するすべてのカウリのなかで第7位。
ワイポウアの森。道ばたにそびえる大きなカウリ。
トラウゾン森林公園で解説する、ワイポウア・フットプリンツ(元YNAC)の岡田愛さん。
果てしなく広がるフィリナキ原生林を眼下に、ヘリでキャンプへ向かう。
フィリナキの素晴らしいモスフォレスト。南極ブナ、シダ、コケ。
まずこの大きさを見て欲しい。
オークランドの北、ダーガビルに近いマタコヘにあるカウリ博物館。大きなホールの壁に、最大級のカウリたちの断面が描かれていた。左脇の人がスケールになってくれている。
最大の木は「ザ・グレート・ゴースト」。偉大なる幻。直径8.5m、周囲26.8mあったと言われている。この木は1890年に火事で燃えてしまったらしい。
2位はオークランドの東、コロマンデル半島にあった「ファザー・オブ・ザ・フォレスツ」。周囲22m、幹高(地面から最初の枝下までの高さ)24mあったという。1870年頃倒れてしまったらしい。
3位は公式に計測された最大の木「カイラル」。ワイポウアの南30kmのトゥタモエ山にあった。1860年に計測され、周囲20.1m、幹高30.5mだった。この木は1890年代から90年代にかけて繰り返し発生した山火事で焼けてしまった。
4位は現存する最も太い木、ワイポウアの「テ・マツア・ナヘレ」16.4m。
5位が“森の王”「タネ・マフタ」13.8mである。
日本では巨木を胸高周囲(地上から1.2mの高さで測った周囲)で評価するが、NZでは木材体積で評価する。最大のカウリとして名高いタネ・マフタは、太さでは2位だが幹高が17・7mあるので最大とされる。梢高は51.5mもある。
テ・マツア・ナヘレは幹高10.2m、梢高29.9mで、縄文杉に非常によく似た大きさだ。
なおカイラルは幹高30.5m、梢高65mと、ジャイアントセコイアとゆうに張り合えるサイズだったのだが、惜しいことをした。
カウリ博物館は外観からは想像もつかないほど大きな施設で、丁寧に作られた、歴史と林業に関するいくつもの大規模な展示は見ごたえがある。カウリという手つかずの優れた木材資源の宝庫を前にして、どんなことがあったのか、余すことなく学ぶことができる。NZの歴史の精髄が詰まっているといった方がいいだろう。
こうやって過去の事実をきちんと整理し、明確に認識するところから、世界に冠たるNZの自然保護は始まっているのだなあ・・・。
ワイポウアの森を訪れる際は、必見だろう。
これは第7位の「YAKAS」。愛ちゃんのガイドで訪れたワイポウア森林保護区にて。まだまだ苦労を知らない紀元杉、という感じです。
風の旅行社主催のニュージーランド北島 原生林の旅へ、行ってまいります。
出発はもう少し先で、12月30日に成田発の予定です。
縄文杉とワイポウアの神木タネマフタは、すでに姉妹木の契りを結んでいますので、ささやかながら、屋久島民間側からの表敬訪問という気持ちもあります。
ワイポウアは歴史的に見ると小杉谷~大株歩道、といった感じで、過去の大規模な伐採エリアのうち、わずかに残された森の中に巨木が点在しています。
フィリナキは北島最後の原生林の一角として、激しい自然保護運動の戦いの末に残った、輝かしい戦果です。屋久島で言うなら瀬切・花山といったところでしょう。しかし屋久島の森の大半は少なくとも過去に一回は伐採を受けているのに対して、フィリナキは掛け値なしに本物の原生林です。
『もののけ姫』に出てくる「シシ神の森」は、よく言葉では聞く手つかずの森を描いたものですが、いわばあれがニュージーランドに現存しているわけです。凄そうでしょう?(笑)
友人、というのか、里子のような人の結婚式に出席。ついでにしばらくご無沙汰している親友に会いにゆき、その合間に気になっていた場所を訪れたりと、いろいろ詰め込んだ旅行をしてきた。夏から秋にかけて動きづめだったので、大分遅くなったがいい夏休みになったと思っている。先日の温泉川やスラブ滝は休暇ではなかったのかという声が聞こえるが、あれは出張ないし精神的技術研修というものである(笑)。
このところ機会あるごとに出かけているのは、近畿・東海地方の神社と寺だ。この年で寺社巡りが趣味というのもどうかと思うが、興味の対象がそうなのだから仕方がない。ただしある時代に大きな経済的イベントを起こした寺社が面白く、そういうところを選んでいる。
4月は伊勢神宮外宮・内宮に行ったが、今回の結婚式後には愛知県津島市の津島神社に行ってみた。これは「センゴク外伝 桶狭間戦記2」(宮下秀樹,講談社)にもろに影響されているのだが、あの織田信秀がこの津島神社を支配下に置いて伊勢湾海運の元締めとなり、信長へと続く織田家隆盛の基礎を作り上げた、というところにいたくツボを突かれた。
行ってみれば、かつては活気のある港湾都市だったはずだが現在は内陸になって、当時の面影はない。立派な神社だがなんということもなく、やや期待していた宝物殿も閉鎖されていた。解説版の類には、お伊勢参りに行くときに、伊勢だけでは片手落ちで、津島にも寄らないとだめなのだとされていた、と書かれていたのが新鮮だったものの、津島側にそう書いてあるだけでは当然鵜呑みにはできない(笑)。しかしこの神社に集まる寄付金の巨額なことには驚いた。皇室から中京圏の社長クラスまで、百万円規模のスポンサーがごろごろいるのである。格式というものか。
駅前の魚屋に「ふなみそ」と書かれた紙が貼ってあったのにそそられたが、残念ながら閉まっていた。「桶狭間戦記」にも描かれていたが、津島神社の牛頭天王祭は素晴らしいものらしい。
ついで津島に近い伊勢長島に行った。これも本編の「センゴク天正記」に出てくるのだが、信長が津島に陣どり、一向宗徒を制圧し大量虐殺したという、あの長島攻めの現場である。長島駅に降り立つと、・・・なにもない。ただ木曽川と長良川に囲まれた中州島がひろびろと続くのみ。
地図を眺めていると、しかし興味深いものがあった。あの長良川河口堰だ。屋久島からここまで来たみやげにこれを見学して、名古屋に戻った。なぜ信長なのかというと、これは種子屋久に大いに関係するからなのだが、それはまたいずれ。
ニュージーランドの岡田愛さんから資料がどさっと届きました。年末年始のニュージーランドツアーのための数々の書籍やパンフレット、地図など。これを読んで猛勉強しろというわけです。手厳しいぜ、愛ちゃん。
しかしカウリの巨木のUnbelievableな伐採風景写真や、エダハマキ・ナギ・ダクリディウムなどのゴンドワナ系針葉樹の巨木など眺めていると、心が躍ります。これらの不思議な針葉樹は、ボルネオのキナバル山ですでに見た、なじみのグループが多く、赤道をまたぐ、植物の分布の一端を実感できそうです。
ニュージーランド北島の、カウリはおそらく南アフリカのバオバブと並ぶ、南半球最大の樹木ですし、後半に訪れるフィリナキWhirinaki Forestは、おそらく南半球最後のコケに覆われた巨木原生林の一つです。森が深いので、拠点となるロッジまではヘリで移動することになりそうです。なんて楽しそうな!
モスフォレスターの本懐を遂げん、といったところでしょうか。
キウイなどの飛べないニュージーランド独特の鳥も非常に面白く、この日程では絶対に短すぎる!と思うに違いない、とすでにあきらめています(笑)。
ツアーは任せて安心の風の旅行社主催、YNAC小原が講師です。詳しくはこちらのサイトをご覧ください。
こんどは内宮です。西の方に見える山はたぶん鼓ヶ岳。照葉樹林の新緑に覆われています。下の方に見えるのが屋久島のツガのような赤松。剪定の進んだ枝振りは、本当に台風にもまれたツガの枝そっくり。
内宮の御稲御倉(みしねのみくら)。高床式の家そのもの。切妻の破風板がそのまま屋根の上に突き出ているところを「千木(ちぎ)」といいます。伊勢の建物では装飾になってますが、もともとは破風をクロスさせてその上に棟木を乗せるためのデザインです。棟上げ、というのはその屋根の要を決める作業のこと。
タイのカレン族の建物もこんなデザインでした。屋根から垂れるコケを採集してみたいのですが。
境内の森は、こちらも大木だらけです。右がクスノキ、左がスギ。外宮に比べて全体にスギよりもクスノキが目立つ感じで、照葉樹林っぽいです。地面に見えているシダはたぶんカナワラビの仲間。屋久島の西部照葉樹林に似た感じです。
これはイチイガシ。台湾などにも分布する亜熱帯系の樫で、宮崎の綾や霧島の御池などには巨木林があるのですが、屋久島には一本もない種です。
内宮の東には神路山・島路山を中心とした神宮林が5000ヘクタールもあり、シカも少なくないそうです。この辺まで現れるのでしょうか?
神宮林ではヒノキの育林が進んでいて、もう100年くらい経つと、20年ごとに行われる遷宮を自前の木材で賄えるようになるとか。さすが伊勢神宮。ほかの神社にそんなまねはできません。
でも現在は、木曽ヒノキのいいところを確保して、遷宮に充てているそうです。
というわけで、木曽赤沢編へと続く。
伊勢神宮に行きました。これは外宮御正殿(げぐうごせいでん)。杉の巨木群の間に弥生時代っぽい古風な建物が立ち並ぶその規模は、やはり国内では類を見ないものでしょう。
境内は杉を含む照葉樹林。下生えがほとんどありません。この辺の植生は調べられているのかどうか不明ですが、最近の屋久島なら即シカの食害のせいにされるところです。
そういえば神宮にシカはいるのでしょうか?それとも常緑林の暗さで下生えが少ないだけなのか。
外宮の風宮(かぜのみや)。このシンプルな建築デザインを神明造(しんめいづくり)といいますが、棟木を支える形の棟持柱が入るのが見どころで、これがあまたの神社よりも、伊勢神宮が一段と古風だといえるポイントになります。
格式ある古い神社は建築や儀式が神代の昔・・・つまり弥生時代とか縄文時代の文化をそのまま保存していることが多く、古代のタイムカプセルだとよく言います。
外宮から内宮へ向かうのが正しい参拝とのことです。で、内宮前の「おかげ横丁」に引っかかるのがこれまた正しい順路(笑)。これはあの「赤福」本店。平日だというのに順番待ちの列ができています。
内宮の鳥居に向かって出店がずらり。白鷹樽酒のカウンター、松坂牛のステーキ丼御膳、地ビール、うまいコーヒー、牛の肉まんと、うまそうなものばかり。サザエの串焼きに壺焼き、てんぷら、ひもの屋と海産物が豊富なのも特徴です。そういえばイセエビとは、まさに伊勢から都へ運ばれる海の幸の象徴なのでした。
あふれる参詣客に、洗練されたおいしいファーストフードが安価で勢いよく提供されてゆく。売り子の口上は品質への自信にあふれ、そぞろ歩く参拝客はそそられてすっかり幸せな気分になってゆく。さすがに天下の伊勢神宮は大した観光地だ、と感銘を受けました。
妙な動物がいる。アルパカ…か?
いや、犬ですね、これは。
ボルゾイ? それともアフガンハウンドというやつでしょうか?
つづく。
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